獨活籙

筆に花開かせんと欲する者の雑文の掃き溜め

一保堂で開化堂の茶筒が売っていた!

どうも堂主です。

このブログを作ってからn年放置してきてしまった…という罪悪感もありますが、仕事が忙しかったという言い訳免罪符を持ち出してしまえばそれまで。
とは言いながらも、習慣として何かをする、ということがなかった堂主も30歳をすぎると「果たしてこのままでいいのだろうか」と思ってしまうわけでございます。

かくなる上は、文章を書くという習慣も「文人」を目指すのであれば良きことかな、と思うわけで、筆を定期的に取るということが新しい習慣として適切ではなかろうか。

さて、30歳を超えて思うのは、忙しさにかまけて、衣食をいい加減にしてきた時短や効率化に重きを置いてきた自分も「ていねいな暮らし」というものにシフトしていった方が人生が愉しく豊かになるのではないだろうか、ということ(某30年間パスタを食べ続けるYouTuber的な発想)。
とは言え、情報も大杉栄で何からはじめて良いものやら、とこの情報過多社会のもたらしたる弊害とも言えましょうか。決断力がない自分に悶々としておったわけです。

ま、下手の考え休むに似たり、とはよく言ったもので、まずはやってみる、というのが大事、との考えに至るまで3年ほどかかっていましたが (十分休んだ) とにかくそれっぽいことをやってみる。それが一番大事。

先日不運にして、半ドン(もはや死語?)とはいえ休日出勤を仰せつかったワタクシ。
業後に職場近辺の丸の内を放浪しておりますと、勤務6年目にして初めて一保堂茶舗さんがあることに気づきましたこの数年コロナ禍がで在宅勤務があったとはいえどこに目を向けて歩いていたんだろうか

丁度、自宅の緑茶の茶葉を切らしていたので、せっかくなら美味しい茶葉で緑茶を淹れるというのも「ていねいな暮らし」の一つであろう、というところで入店。 茶葉を物色していると、チラとみたその先にはなんと開化堂製の銅とブリキの茶筒が!
しかも一保堂さんのロゴまで押されているではありませんか!

開化堂の茶筒といえば、2011年のCasa Brutusの別冊に掲載されていた(と記憶しておりますが定かならず)ものを高校生ながら一目惚れして以来、いずれは手に入れてみたい品の一つであります。 一方でHPを見ると納期は「お時間を頂戴している」とだけ。
具体的な納期がない中でクレジットカードで決済をすれば先に引き落とされてしまうというのもなぁ…というのが自分の気持ち。

つまりある種のフォワード取引であり、製品を知らない自分からしてみれば大きなリスクを伴う気がしてしまうわけです普段の自分の仕事がリスク商品扱ってるからって、そんなところで影響されなくたって...

ところが!昔から追い求めたものが目の前に並んでいるわけです。
かねてから憧れのブランドの製品が目の前にあるとなれば、買うっきゃない!ということで茶葉のチョイスはおざなりにしながら、茶葉とあわせて茶筒も購入することに。

購入後2週間程度経ってますが、撮影したものがこちら。

まだまだ銅の輝きがあります。

開化堂さんによれば、これが飴色の美しい銅の色に変わっていくとのこと。
無理せず自分のペースでこの茶筒を育てていきたいと思う今日この頃です。
今日はこれまで。

拔茜由来長物志

どうも堂主です。

タイトルがうまく決まりませんでしたね。 助六縁江戸桜と引っ掛けようと思ったのですが、いまいちうまくいかず。

拔茜堂とは

私の雅号の1つである拔茜堂主人ばっせんどうしゅじんですが、2017年頃に自分でつけたものです。 『易経』由来でございます。

易の中に、この世が真っ暗だ、ということを表す「天地否」というものがありまして、

否。之匪人。不利君子貞。大往小来。
否はこれ人にあらず。君子の貞によろしからず。大往き小来たる。

と卦辞にあります。

そして、小人たる私は初爻ですので、

抜茅茹。以基彙。貞吉。亨。
茅を抜くに茹たり。その類をもってす。亨る。

まぁ世の中真っ暗というのは当時にしてはあまりいいセンスではなかったと思いますが、今から考えると言い得て妙なのかもしれません。
それに、拔茅というのは悪い意味ではなくて、

有能な人々が、自分だけが有利になるようにせず、仲間と共に進んでいくこと。「抜茅」は植物のちがやを抜くことで、ちがやは根が繋がっているために、一本抜けば他のものが連なって抜けることから、仲間と共に進むことのたとえ。有能な人々が互いに能力を認め合い、互いに推薦しあって、一人が登用されると他の人々も登用されることをいう。

という意味でして、少しでも有能な朋友に認めてもらえたらなぁ、という気持ちがありました。 で、なぜ茜に字を改めたのかと言えば、地元がかつてアカネの栽培を行っていたことに由来します。

そして、発音がバッセンとなって、酒の栓を抜くことを暗示、酒好きの私を意味する号としても完璧でございます(笑)。

獨活籙どっかつろく

見掛け倒しで役立たずのことをウドの大木と言いますが、『長物志』という明代の文人の本が本歌です。 (経世済民にとっては)無用の長物であるにせよ、文人趣味を楽しませるものどもが記されている本なのですが、そのまんまでは面白くない。 とは言っても、そのテイストを残したい。

ということでウドの大木という連想が働いて、独活録。 独を旧字体にしているので、録も古めかしさを出すために竹冠をつけて古風を装うことにいたしました。

ということで、これまで。

なんちゃって理系がプログラミングを覚えようと思った

どうも堂主です。

職場の人からAtCoderに誘われましたが、プログラミングなんてやったことないのでお断りをしよう…と思った矢先、後輩から「え、プログラミングしたことない理系なんているんですか」と煽られました。 煽られたらやるしかないのん。

そうは言っても…本当に触ったことがないものはどうしようもありません。 せいぜいRでのデータ分析とLaTeX修士論文を書く程度でしか、文字列を自分で打ち込んで何か出力を得るということをやってこなかったわけで。

とりあえず、データ分析も仕事の一部でやっている以上はそれに使える言語を学ぶ方が良いのではないか、という勧誘人からのお言葉を採用して、Python3を選択。

しばらくはPythonの勉強をしていかなければ…と思います。

勉強するにあたって

本を買うのもいいのですが、だいたいこの手の本は高いと相場が決まっています。 O‘Reillyとか高いよね (需給を考えれば高いのは仕方ないけど)。

かと言って、オンラインのTechAcademyとかでコストをかけて初歩の初歩から勉強をするというのも資金効率を考えればもったいないなぁ…という結論に。 いや、別に高いのが高いのが悪いと言っているのではなく、漠然とPythonAtCoderに挑もう、というところを解決する程度ならばインターネットで自力で探した方が良いでしょうという話で。 アプリケーション作りたい!とか、WordPress使ってサイトを構築したい!とかそういう人たちなら、そもそもある程度の基礎ができていて、その上をどうしましょうや、ということになってスクールにコストをかけるのも悪い話ではないんじゃないかなと思うわけですよ。

そういうわけで、無料でできるところを…と聞いたところPaizaでやれば良いだろう、とのこと。 Paizaって私の中ではTech系の人材紹介のイメージが強かったので、びっくりしてしまいました。

とりあえずPaizaラーニングのPython3をやっていこうと思います。 後はコードクロニクルというゲームも時間制限がある中で解いていくというスタイルなので役に立つかもしれないですね。

では。

跋文

初めまして。

拔茜堂主人と言います。

紆余曲折はあるのですが、あまりにも目まぐるしくいろいろなことが変わっていく中で、記録としてこの書き付けをやっていこうと思います。

徒然なるままに文を書いていきたい。 記録をつけていくという習慣が薄い私自身としては、まずは記録を定期的につけていくという低次元の目標を掲げていきます。

どうぞお付き合いください。

拔茜堂主人 拝